2017年07月12日

ベトナムのこと

   ベトナムで見てきたことを
 ブログで報告すると言っておきながら
あっという間に1週間以上たってしまいました。 

スマートインターと道の駅に関連して請求した
 公文書の一部公開決定に対して審査請求をし
  7月6日の審査会で意見を口述
 そのあと4人の市民派女性議員で発行の
  「えきよく通信」の原稿書き
 月曜日からは赤池駅から駅頭活動
  その合間にリハビリ、運動療法
 そして火、木、金の夜は大学院と
毎朝、しっかり手帳で予定確認する日々です。
 今日からは自分の通信の原稿を書くので
   ベトナム報告は1回で。

  ベトナムは1887年にカンボジアと共に
  フランス領インドシナ連邦に組み込まれ
  つまりフランスの植民地となりました。
   その頃のヨーロッパ風の建築物が
     今も残されています。

  ホーチミンマリア大聖堂.JPG  ホーチミン郵便局.JPG
  マリア大聖堂       郵便局
      ホーチミン郵便局内部.JPG
        郵便局内部

  第2次世界大戦中は、日本軍も進駐しましたが
    民族運動の結果、1945年9月2日、
     ホーチミンが独立を宣言。
しかし、その後は冷戦時代の分断世界の渦に巻き込まれ
 連合国側の中英、そしてフランスが南部に傀儡政権を樹立
  それから第一次インドシナ戦争、フランス軍の撤退
  そして南部傀儡政権はアメリカ軍が引き継ぎ
  ベトナムは苛烈な南北対立の時代に突入します。
資本主義と共産主義の代理戦争でもあったベトナム戦争は
  南ベトナム解放民族戦線(通称:べトコン)にも
   アメリカ軍にも そして罪のない住民にも
     悲惨な結果を生むものでした。

     こちらはベトナム戦争記念館
      枯葉剤の影響によって
   子どもにどのような影響があったのか
     人類の犯した恐ろしい罪が
     記録として残されていました。
   
  ベトナム9.JPG ベトナム8.JPG
   ベトナム10.JPG  ベトナム11.JPG

  
 現在のベトナムは本当に若い世代であふれています。
     経済成長も著しいことは
   ホーチミンにどんどん建築されるビル
   大規模な地下鉄工事などを見ても
  きっと高度成長期前の日本はこうだったのかも
   というようなエネルギーを感じました。
   デパートにかかる音楽はガンガンのロック
   店の種類も若者、子育て世代がターゲット
   道路は色とりどりのオートバイがひしめき
   平日の夜でも遅くまで外は賑やかでした。

  ベトナム2.JPG ベトナム6.JPG
  どうしてぶつからないの?という距離感。
  信号は青も赤も待機時間が示されます(いいね!)

  南部のメコンデルタ地帯も訪れました。

 ベトナム4.JPG ベトナム5.JPG
   渡し船と 川魚のエレファントフィッシュ

      ベトナム1.JPG
      やはり果物は豊富です。

    でも、道路のあちらこちらで
   カードやお菓子を売っている人々は
  お年寄りだったり 体が不自由な方であったり
   繫栄の影には人生が犠牲になった人々が
  まぎれもなく存在していることも感じました。
   
      どこの国であっても
    戦争は絶対にしてはならない。
      強く思った旅でした。

  

  

posted by shimamura at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック